バレンタインデーなど、チョコレートへの関心が高まったときについ気になったりしませんか?
「チョコレートって漢字で書けるの?」って。
実は、チョコレートって漢字でも書けるんですよ。
チョコレートにまつわる豆知識や、外来語漢字クイズとともに紹介しますね。
チョコレートは漢字でこう書きます
チョコレートは、漢字でこのように書きます。
「猪口齢糖」
当て字ですが、「糖」の字に甘いお菓子っぽさが出てますね。
これ以外にも、「貯古齢糖」「千代古令糖」「知古辣」などとも表記されていたそうです。
1877年(明治10年)の東京報知新聞の広告に「猪口齢糖」と書かれた、チョコレートの広告が掲載されています。
これが、日本でチョコレートを宣伝・販売した最古の記録のようです。
1877年というと、西郷隆盛が西南戦争を起こし、敗れて自刃した年ですね。
日本で初めて国産のチョコレートが作られたのは、その翌年の1878年(明治11年)。
風月堂総本店の5代目、大住喜右衛門が、番頭の米津松蔵に横浜で技術を学ばせ、両国若松風月堂で発表したものだったそうです。
このとき新聞に掲載された広告には、「貯古齢糖」という漢字が使われています。
本日12月25日は、言わずと知れたクリスマス!
ですが、日本で初めてのチョコレート(貯古齢糖)が販売された日でもあるそうです!チョコレートの様なあま〜い時間を、当店で味わってみませんか?
お近くを通った際は是非ともご賞味下さいませ( ´艸`)広島県福山市住吉町3-25 2F
Tel084-9833-6919 pic.twitter.com/VKV7jg4OJo— club HARLEM (@hukuyama_HARLEM) 2018年12月25日
しかし、この当時のチョコレートは高級品で、一般庶民に手が届くようなものではなく、あまり広まらなかったそうです。
それから40年後の1918年(大正7年)に、カカオ豆からの一貫生産を森永製菓が開始したことでチョコレートは安価となり、1920~1930年代にかけて急速に日本に広まりました。
このときに森永製菓が発売したチョコレートの商品名は、「森永ミルクチョコレート」。
日本で本格的にチョコレートが普及した頃には、「猪口齢糖」などの漢字表記ではなくなっていたんですね。
夏目漱石が1914年(大正3年)に発表した小説「こころ」でも、すでに「チョコレート」という表記が使われています。
外来語漢字クイズ! これはなんて読む?
それにしても、チョコレートを漢字で「猪口齢糖」「貯古齢糖」などと書いていたというのは面白いですね。
他にも、そんな外来語の漢字表記を集めてみましたよ。
なんて読むのか考えてみて下さい。
(クイズの正解は、この章の最後で)
加加阿
チョコレートを作る時の材料といえば?
柯柯阿とも書きます。
砂糖天麩羅
砂糖という漢字が使われていることから分かるように、甘い食べ物です。
天麩羅(てんぷら)みたいに油であげる甘い食べ物というと?
馬穴
競馬の大穴じゃありませんよ(笑)
馬尻とも書かれるようです。
これは、読みそのままの当て字ですね。
秋桜
この当て字は、昭和52年(1977年)に山口百恵が歌った同名の歌謡曲が由来になっています。
これは知っている人も多いかもしれませんね。
仙人掌
何やら必殺技のような感じがしますが、ある植物の名前です。
チューリップが1975年に発表した「〇〇の花」という歌が、ドラマ「ひとつ屋根の下」の主題歌にもなっていましたね。
鬱金香
「うっこんこう」と読み、春に咲く花の和名です。
どの花見てもきれいですよ。
円規
「円」という漢字に定規の「規」ということは・・・?
極光
北極や南極で見られる光というと?
土瀝青
そのままの読みは「どれきせい」ですが、これは原油に含まれる最も重い炭化水素類のことです。
黒っぽく、半個体だったり、粘り気のある液状だったりしますね。
毎日のように、これを平らに固めて作った物を踏んづけている人が多いと思います。
これはちょっと難しいですかね。
それでは正解です。
・砂糖天麩羅:ドーナツ
・馬穴:バケツ
・秋桜:コスモス
・仙人掌:サボテン
・鬱金香:チューリップ
・円規:コンパス
・極光:オーロラ
・土瀝青:アスファルト
チョコレートにまつわる豆知識
最後に、猪口齢糖(チョコレート)にまつわる豆知識・トリビアを紹介しますね。
・板チョコの溝は割りやすくするためにあるのではない?
板チョコのあの溝って、割りやすいようにつけてあるものと思っている人が多いのでは?
実は、あれって、製造する時に固まるのを早めるためにつけているんだそうですよ。
溝をつけることで表面積が大きくなって、外気に触れる面積もその分大きくなりますので、その分、冷えやすくなってすぐに固まるからです。
・日本人で初めてチョコレートを口にしたのはあの武将?
日本人で初めてチョコレートを味わったのは、伊達政宗の家臣、支倉常長たちではないかという説もあります。
支倉常長らは、1617年に伊達政宗の密命を受けてスペインに渡りました。
途中立ち寄ったメキシコで、ビスケット、こんぺいとう、カルメラなどを食べていますから、当時メキシコで一般的だった飲み物であるチョコレートを口にした可能性もあります。
この当時は、チョコレートは今のような固形ではなく、飲み物でした。
しかし、支倉常長らがチョコレートを味わったのかどうかについて、正式な記録は残っていません。
・江戸時代の人もチョコレートを口にしていた?
日本の文献に初めてチョコレートが登場するのは、江戸時代中期の1797年です。
長崎の遊女町だった丸山町、寄合町の「寄合町諸事書上控帳」という記録に、「しょくらあと六つ」という一文があります。
「しょくらあと」というのは、チョコレートのこと。
大和路という遊女が、長崎出島のオランダ人からチョコレートをもらったという記録です。
この頃もまだ、チョコレートは飲み物でした。
・昔はチョコレートは不老長寿の薬だと信じられていた
14世紀頃に、現在のメキシコに築かれたアステカ王国では、チョコレートは不老長寿の万能薬だと信じられていました。
チョコレートは、疲労回復に効果があり、毒蛇に噛まれたときの解毒、赤痢、歯痛、解熱など、あらゆる病気や怪我に効く薬だと思われていたそうです。
チョコレートの原料であるカカオは、神の食べ物として珍重されていたのだとか。
そのため、アステカの皇帝は、金でできた器でチョコレートを1日に50杯も飲んでいたといいます。
その当時のチョコレートは、今のように甘くはなくて、ザラザラして苦かったらしいですよ。
その当時のチョコレートは、ココアパウダーと砂糖をお湯で溶かした飲み物でしたが、イギリス人のジョセフ・フライは、お湯の代わりにココアバターを使う製法を考案。
それによって、冷やすと個体になり、口に入れると溶ける固形のチョコレートが完成したのです。
まとめ
チョコレートいうのは、漢字で「猪口齢糖」「貯古齢糖」「千代古令糖」「知古辣」などと書きます。
1918年に森永がミルクチョコレートを販売するまでは、チョコレートは高価で、日本の庶民にはなかなか手が出ない物だったんですね。
今では手軽に食べることができる「猪口齢糖」にも、いろんな歴史が詰まっていて、興味深いチョコレート豆知識でした。