クリスマスに子どもたちにプレゼントを運んできてくれるサンタクロースといえば、白いふちどりの赤い服というのが、誰もが思い浮かべるイメージですよね。
サンタクロースのあの赤い服の由来がコカコーラだというのは、聞いたことがある人も多いのではないでしょうか?
でもそれって、厳密に言うと嘘なんですね。
実は、日本で昔に描かれたサンタクロースが、コカコーラよりも前に赤い服を着ていたんですよ!
ここでは、サンタさんの赤い衣装の由来と、日本でのユニークなサンタクロースの起源について紹介しますね。
サンタクロースの赤い服の由来は?
サンタクロースの赤い服の本当の由来は、実は、カトリック教会の祭服だったんです。
カトリック教会では、聖人を記念する日には、赤い色の祭服を着用することになっているそうです。
赤い色には、人々のために血を流してでも尽くすという、司教としての覚悟を示すという意味が込められているのだとか。
サンタクロースのモデルとなった人物も、セント・ニコラス(セントニコラウスとも呼ばれます)という4世紀頃のキリスト教の聖人ですから、そこからサンタクロースの衣装が赤で描かれることも多かったんですね。
ただし、昔のサンタクロースは絶対に赤い服で描かれていたというわけではなく、赤以外にも、緑とか青とかいろんな衣装で描かれていて、サンタ像は統一されていませんでした。
てっきり、それまでのサンタクロースは赤以外の服で描かれていたけど、コカコーラがあの赤いボトルのイメージに合わせて赤い服のサンタクロースを広告に描いて、それが赤い服のサンタクロースの起源になったと思っていましたけど、違ったんですね。
サンタさんの赤い服の正しい由来は、カトリック教会の祭服でした。
そこにどうやってコカコーラが関わってきたのか、次の章で紹介しますね
サンタクロースの赤い服はコカコーラが起源というのは嘘?
コカコーラが赤と白の、あのおなじみの衣装でサンタクロースを描いたのは1931年(昭和6年)です。
それまでのコカコーラは、体に悪いというイメージを持たれ、子供や女性には売れ行きがいまいちだったそうです。
そこで、子どもたちにプレゼントを届けるサンタクロースを広告に起用し、悪いイメージを払拭しようとしたのだとか。
その赤い服のサンタクロースのイメージが、コカコーラの世界進出に合わせて世界中に広まり、サンタクロースといえば赤い服というサンタ像が世界的に定着したそうですよ。
コカコーラのサイトに、次のようなQ&Aが載っていました。
Q.コカ・コーラが現在のサンタクロースのイメージを定着させたと言われるのは本当ですか?
A.その昔、サンタクロースに対するイメージは、国や地域によって大きく異なっていたと言われていました。その中で、1931年(昭和6年)にコカ・コーラ社がクリスマスキャンペーン用に、その当時コカ・コーラ社の広告アートを担当していたハッドン・サンドブロムに依頼して制作した広告によって、赤い服を着た、白髭で陽気な微笑を浮かべたサンタクロースが描かれました。以降、コカ・コーラの世界進出に伴って、このサンタクロースのイメージもあわせて世界的に定着していったと言われています。
コカコーラがサンタクロースの赤い衣装の起源というのは嘘というか、正確に言うと間違いだったんですね。
赤い服とか緑の服とかバラバラに描かれていたサンタクロースイメージを、赤い服のサンタクロースとして世界に定着させたのがコカコーラだったわけです。
コカコーラが1931年(昭和6年)に赤い服のサンタクロースを描くより前に、赤い服のサンタクロースが他でも描かれていた証拠は日本にも残っています。
サンタのイメージは1931年のコカ・コーラ広告からと言われるが、それより16年前の1914年(大正3年)刊行の日本の雑誌『子供之友』に描かれたサンタを見て下さい。赤い衣装に大きな白い袋からプレゼントを出し靴下に入れる姿が描かれてます。1907年の朝日新聞にもサンタは赤い服と記載有 pic.twitter.com/2ZER0Kr2x5
— 荒川和久@「超ソロ社会」著者 (@wildriverpeace) 2018年1月14日
コカコーラよりもずっと前、1914年(大正3年)に、「子供之友」という日本の子供向け雑誌に、赤い服を着て白い袋に贈り物を入れた、今の私たちが想像するのと同じようなサンタクロースが描かれています。
でも、その子供之友という雑誌には、赤い服ではないサンタクロースも描かれていて、赤い服のサンタクロースというイメージがまだ定着していなかったことがわかります。
もうじき🎄クリスマス、竹久夢二が雑誌『子供之友』のために描いた「サンタクロース」を紹介します。煙突から出てゆくサンタは、現在の格好とは違いますね(泥棒みたい‥‥)。子供たちはたくさんのプレゼントを前にうれしそうです。来年1/3から開催の企画展「竹久夢二と雑誌の世界」で展示します☆ pic.twitter.com/9pj0WIjMxU
— 弥生美術館・竹久夢二美術館 (@yayoi_yumeji) 2017年12月23日
美人画で有名な竹久夢二も子供之友のためにサンタクロースを描いていますが、そちらのサンタクロースは普段着っぽい服を着ていて、現在私たちがイメージするサンタ像とはかけ離れています。
日本のサンタクロースの起源はお侍?
日本でのサンタクロースというと、面白い話が残っているんですよ。
日本で初めてサンタクロースの格好をしたのは、元幕臣の侍であり、後に牧師になった戸田忠厚という人物だったそうです。
彼がサンタに扮したのは1874年(明治7年)のこと。
まだ江戸時代が終わって間もない頃です。
クリスチャン実業家の原胤昭(はらたねあき)という人のクリスマス会で、日本初のサンタクロース役を演じたのだそうですよ。
でも当時は、赤い服のサンタクロースというイメージが定着するずっと前な上、西洋化して間もない頃の日本です。
原胤昭さんは、裃(かみしも)を着用し、腰に大小の刀までさしていたそうです。
そんな侍サンタクロースが、何かを届けに、夜中に家に侵入してきたら嫌だ(笑)
それから24年後の1898年(明治31年)になっても、日本のサンタクロースのイメージはちょっと変でした。
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1898年(明治31年)に、教会に通う子供向けに発行された「三太九郎(さんたくろう)」という物語なのですが、これが日本で初めてのサンタクロースの絵と言われています。
連れているのがトナカイではなくロバで、プレゼントは袋ではなくかごに入れています。
そしてなぜか、クリスマスツリーらしきものを手に持って登場(笑)
「さんたくろう」というのは、こんなお話なのだそうです。
ある日、井口五郎という名前のおじいさんが行き倒れてしまいますが、クリスチャンの一家に助けられました。
井口五郎さんは、自身もクリスチャンとなり、その恩を返すために三太九郎(さんたくろう)となって、その家の子供達にプレゼントを届けるのでした。
サンタクロースがコテコテの日本人の井口五郎さんでいいのでしょうか(笑)
教会で子どもたちに読ませる話が、サンタクロースの原型をほとんど留めていない三太九郎でいいのでしょうか(笑)
突っ込みどころが満載ですが、明治時代の日本でのサンタクロースのイメージってこんなものだったんですね。
ここからさらに16年後の1914年(大正3年)頃になってやっと、先程紹介した「子供之友」の赤い服のちゃんとしたサンタクロースが登場するわけです。
まとめ
サンタクロースの赤い服の由来は、カトリック教会で聖人を記念する日に着用される赤い祭服でした。
でもかつては、サンタクロースの衣装は赤以外の色で描かれることも多く、国や地域によってサンタ像はバラバラだったそうです。
しかし、コカコーラが1931年に赤い服のサンタクロースを広告に起用し、コカコーラの世界進出に伴って、サンタクロースといえば赤い服というイメージが世界に定着したのです。
サンタクロースの赤い服はコカコーラが起源というのは、厳密に言うと嘘というか間違いだったんですね。