節分に豆まきをするのってどうしてなんでしょう?
鬼を退治するため、あるいは追い払うためっていうのは知っていますけど、あんな屈強な怪物が煎り大豆程度で退散するというのも、よくよく考えるとおかしな話ですよね。
どうして節分に豆をまくのか、ここではその由来に迫ります!
鬼が節分に来る理由、赤鬼や青鬼の色のわけを探ってみたら、いろいろと面白いことがわかりましたよ!
節分の豆まきの由来って何?
節分に豆まきをするのは鬼をやっつけるため。
確かにそのとおりなんですが、どうして「豆」なのでしょうか?
その由来には諸説あります。
「魔の目(魔目)」と「魔を滅する(魔滅)」を「豆」にかけているんですね。
他にも節分の豆まきの由来については説があるようですが、主なものはこの3つです。
1つ目の、魔目と魔滅を豆にかけているというのはダジャレですから、これは理解できますね。
2つ目の、鞍馬山に鬼が出たというのは、どういうことなのでしょうか?
室町時代に編纂された辞典「壒嚢鈔(あいのうしょう)」(1445年もしくは1446年成立)にこんな話が出てきます。
その鬼たちは都に押し入ろうと企んでいたが、毘沙門天のお告げで鞍馬山のお坊さんがそのことを知り、帝に報告します。
7人の陰陽博士が集められて対策が練られ、鬼のすみかを祈祷でふさぎ、三石三升の煎り大豆で鬼の目を打つこととなりました。
鬼は豆を投げつけられて逃げ帰っていき、都は災難を逃れた、というお話です。
宇多天皇の時代というと、1000年以上前の平安時代ですね。
宮中の記録である「看聞日記」には
「抑鬼大豆打事、近年重有朝臣無何打之」と記され、
室町幕府の記録である「花営三代記」には
「天晴。節分大豆打役。昭心カチグリ打。アキノ方申ト酉ノアイ也。アキノ方ヨリウチテアキノ方ニテ止」
とあって、この頃から公家や武家の間で豆まきが行われていたことがわかります。
短くても600年近く昔から、節分の豆まきが行われてきたんですね。
では、3つ目の、古来から豆には魔除けの力があると信じられてきた、というのはどうしてでしょうか?
大豆は五穀の一つに数えられ、そこには穀霊が宿るとされてきました。
(五穀=米、麦、あわ、きび、豆)
豆は古来より、米についで多く神事に用いられています。
なるほど、こちらの説も説得力があります。
まいた後の生の豆をそのままにしてしまって、そこから芽が出たら縁起が悪いとされているのと、「豆を炒る」と「魔目(鬼の目)を射る」をかけているからです。
3つとも、節分の豆まきの由来としては説得力のある説ですね。
どれが本当の起源なのかは知る由もありませんが、これらの考えやお話が混じり合って、節分に煎り大豆をまくようになったのかもしれませんね。
しかし、この中国由来の行事では豆をまくことはしません。
平安時代に日本で行われていた追儺の行事は、桃の矢で魔物を払うというもので、今の節分とは全く違っていたんですよ。
ですから、節分に豆をまくというのは、日本独自の文化なんです。
現在の中国では追儺の風習はなくなってしまっていて、お隣の韓国では、節分には豆はまかず、落花生を音を立てながら噛んで、その音で鬼を払うという風習があるそうです。
節分に鬼が来るとされる由来は?
それでは、どうして節分に鬼が来ると言われているのでしょうか?
来ようと思えばいつでも来られそうなものなのに、こちらの由来も気になります。
鬼というと、赤い肌や青い肌、頭には角が生えていて、虎皮のパンツをはいているというイメージですが、鬼は本来「邪気」の象徴です。
昔の人は、災害、飢饉、病など、はっきりと正体の見えない恐ろしいものを「鬼」の仕業と考えて恐れたんですね。
鬼という言葉の由来は、「陰(おん)」であるとも、隠れている怖いものという意味の「隠人(おんにん)」であるとも言われています。
では、その「正体の見えない恐ろしいもの」である鬼は、どうして節分に来るのでしょうか?
それは、「節分」がどういう日だと考えられてきたのかを知ると見えてきます。
節分というと、2月3日だと考える人が大半だと思いますが、本当は節分って年に4回あるんですよ。
節分というのは「季節を分ける」という意味の日で、立春、立夏、立秋、立冬の前日が節分に当たります。
この中でも、立春の前日に当たる節分は、旧暦での新年の始まりと重なるとして、特に重要視されてきました。
(大晦日に食べるおそばは、晦日そばなどと呼ばれていたらしいです)
今のような、節分といえば立春の前の日という考え方は、既に室町時代には定着していたようです。
室町時代といえば、1425年の「看聞日記」や「花営三代記」にも、室町時代の公家や武家が節分に豆まきをしていたという最古の記録が残ってもいますね。
どうして立春の前日の節分に豆まきをするのか、それは、新年の始まりであるこの日は、秩序が陰から陽へと大きく変わると当時の陰陽道で考えられていたからです。
そして、そのような日になると、身を隠していた鬼が現れ、悪さをしにやって来ると考えられたのです。
豆まきを節分にするのは、そんな鬼を退治するためだったんですね。
寒い冬から暖かい春へと季節が切り替わっていく節目の日、新年の始まりの日が、そのように考えられ、特に重視されてきたのは納得がいきます。
鬼の姿がああなった由来は?
「鬼」というのは元々、災害、飢饉、病など、はっきりと正体の見えない恐ろしいものの原因として考えられた邪気の象徴でした。
それがどうして、赤や青の肌、頭から生える角、虎のパンツという姿として描かれるようになったのでしょうか?
それには陰陽道が関わっています。
陰陽道では、鬼は「鬼門」と呼ばれる方角からやって来ると言われています。
鬼門という言葉は、日常会話の中でも『行くと悪い目に合う場所。または、苦手な人や物』という意味で使われていますよね。
陰陽道でいう鬼門というのは、北東の方角です。
陰陽道では、鬼はその北東の方角から来るとされているんです。
その北東の方向は、昔の言い方でいうと『丑寅(うしとら)』といいます。
丑とか寅というのは、干支でおなじみの、あの丑や寅です。
十二支の「子(ね)」を北として、そこから時計回りに、北東が「丑寅」、東が「卯(う)」・・・と動物たちを当てはめて方位を表します。
鬼がやって来る方角である鬼門は北東(丑寅)。
鬼は虎のパンツをはいている・・・。
もうなんとなく察しがついたのではないでしょうか?
丑寅の「寅(とら)」がトラのパンツの由来、そして、丑寅の「丑(うし)」が頭の角(牛の角)の由来です。
パンツは、腰布だったり、ふんどしだったりもしますね。
鬼の口に生えている牙も、虎の牙が由来になっています。
では、赤鬼、青鬼などの色がある理由は?
(あまり聞きませんが、黒鬼というのもいるそうです)
これについては、はっきりとした由来はわかりません。
仏教において赤は貪欲を表すからとか、赤は怒りや強そうな者をイメージさせ、青は恐ろしげなものを想像させるからとか、いろいろ言われていますが、推測の域を出ません。
また、鬼は外国人が由来になっているという説もあります。
赤ら顔の外国人を赤鬼、血管が透き通るほど色が白い白人を青鬼だと思ったという説です。
こちらもあくまで推測です。
鬼の色は外国人が由来という説は他にもあって、こちらは白人がモデルではなく、古代の朝鮮半島にあった国、百済からの亡命者だったのではないかと言われているとのこと。
海を渡ってくる時に真っ赤に日焼けした百済人が赤鬼に見えた、という説だそうです。
【鬼が赤い理由】
岡山発祥と言われる桃太郎伝説。よく見る鬼の肌が赤いのに、実は一つの説があります。
温羅(=鬼)は百済から亡命してきた渡来人だと考えられており、海を渡って日本へ来る過程で、真っ赤に日焼けしていた…というものです。 pic.twitter.com/0GLaqgWhhE— 岡山の街角から (@okayamania1) 2015年10月20日
どの説が正しいのか、それとも、他に本当の由来があるのかは現在のところ不明ですが、鬼が普通の人間と同じ肌の色をしていては、そこまで恐ろしい怪物には見えなさそうです。
人間に厄災をもたらす恐怖の象徴として、赤鬼や青鬼、黒鬼などが生み出されたのかもしれませんね。
ちなみに、赤鬼、青鬼などは、13世紀前半頃に成立した「宇治拾遺物語」に、すでに登場します。
そこには、赤鬼、青鬼だけではなく、1つ目の鬼、口がない鬼なども登場していて、色ごとに性格も違っています。
まとめ
節分に豆まきをする由来としては、3つの説があります。
・「魔の目(鬼の目)」に豆をぶつけて「魔(鬼)を滅する」という語呂合わせから来ているという説。
「魔の目(魔目)」と「魔を滅する(魔滅)」を「豆」にかけています。
・京都の鞍馬山に鬼が出たとき、毘沙門天のお告げで都の危機を知り、煎り豆を目に投げつけて鬼を退治することができたという伝説から来ているという説。
・古来から豆には魔除けの力があると信じられてきたからという説。
どれも説得力のある説ですが、五穀の一つである豆には穀霊が宿ると考えてきた日本人の宗教観が、節分に豆をまく理由の根底にあるのかもしれませんね。