5月5日は端午の節句、こどもの日ですね。
男の子のいるご家庭では、柏餅やちまきを食べたり、菖蒲湯に入ったりするのではないでしょうか。
こいのぼりを飾るお宅もあるかもしれませんね。
でも、それらの由来を子供向けにわかりやすく説明しようとすると、ちょっと困ってしまいませんか?
ここでは、大人でもよく知らないかもしれない、こどもの日の習慣の由来についてご説明しますので、お子さんに説明する際の参考にして下さい。
こどもの日の由来を子供向けにわかりやすく説明するには?
小さいお子さんの場合、起源や由来といった話をすると、ちょっと難しすぎて理解できないかもしれませんね。
いつもは食べることのない、ちまきや柏餅といった食べ物や、五月人形などの飾り、そして菖蒲湯を見れば何か特別な日だということはわかるでしょうが、その意味を教えようとすると、どう説明すればいいのか困ってしまいますよね。
そういった小さいお子さん向けのわかりやすい説明の仕方としては、このようにお話してみてはいかがでしょうか。
こちらの記事に書きましたので、よろしければ参考にしてみてください。
⇒『こどもの日の由来は子供にこう説明!柏餅のいわれとこいのぼりの意味』
こどもの日に菖蒲湯に入るようになった由来って何?
こどもの日に菖蒲湯に入るようになった由来は昔の中国にありました。
中国では、季節の変わり目の5月頃は体調を崩しやすいということで、病気予防のために菖蒲湯に入ったり、菖蒲酒を飲んだりする習わしが昔からあったそうです。
昔の日本でも、菖蒲には邪気をはらう力があると信じられていて、5月には、菖蒲の葉を軒に挿して災いを避けようとする習慣がありました。
元々菖蒲に特別な力があると信じられていた日本に、中国の菖蒲湯の習慣が端午の節句の風習と結びついて伝わったのです。
端午の節句の風習は平安時代には一旦廃れてしまったそうですが、鎌倉時代になり、武士の世の中になって復活します。
菖蒲が尚武(武道を尊ぶこと)に通じるということで、武士の間で菖蒲湯や菖蒲酒の風習が再び注目を浴びたのです。
江戸時代には端午の節句の風習は庶民にも広まり、菖蒲湯も一般的になりました。
それが現在にまで伝わって、こどもの日には菖蒲湯に入るようになったのですね。
こどもの日にちまきを食べるようになった由来は?
こどもの日にちまきを食べるようになった由来も中国です。
昔、今から2300年ほど前の中国に、屈原(くつげん)という人がいました。
屈原は国王に側近として使えた詩人だったのですが、彼は陰謀によって国王からの信任を失い、失脚してしまいます。
屈原は国の行く末に失望し、川に身を投げて自ら命を断ってしまいました。その日が5月5日だったのです。
人々は彼の死を悼み、川底に沈んだ彼の亡骸が魚に食べられないよう、太鼓を叩いて魚を追い払い、また、お供え物を川に沈めて弔いをしました。
屈原は、正義感が強く、国を思う心の強い人だったので、多くの人に慕われていたのです。
しかし、人々が川に投じた供物も、龍に食べられてしまって屈原のところまで届きません。
そこで人々は、楝樹(れんじゅ)の葉でもち米を包み、それを赤・青・黄・白・黒の五色の色の糸で巻いて川に投げ入れました。
楝樹(れんじゅ)の葉は龍が苦手にしていて、赤・青・黄・白・黒の五色には邪気をはらう力があるからです。
そうしたところ、供物は屈原のところへ届くようになったそうです。
それ以来中国では、5月5日にちまきを食べて災いを避けようとするようになりました。
その風習が端午の節句とともに日本に伝わって、5月5日のこどもの日にちまきを食べるようになったのです。
ちなみに、ちまきを結ぶのに使われた糸の、赤・青・黄・白・黒の五色は、こいのぼりの吹き流しの色に名残を残しています。
あの吹き流しも、元々は赤・青・黄・白・黒の五色だったそうです。吹き流しの色にも、子供に災いが降りかからないようにという願いが込められているのですね。
柏餅とこいのぼりの由来についてもまとめましたので、よろしければそちらも参考にしてください。
『こどもの日の由来は子供にこう説明!柏餅のいわれとこいのぼりの意味』
まとめ
今まで、こどもの日の風習の由来については深く考えずに、ちまきを食べたり、菖蒲湯に入ったりしていた人も多いのではないでしょうか。
風習の由来や、そこに込められた意味を知ることで、よりいっそう季節の行事を楽しむことが出来ます。
家族でちまきを食べる一家だんらんや、一緒に菖蒲湯に入った時に、その由来について、お子さんにお話してあげてはいかがでしょうか。